2014年4月20日日曜日

AGAの研究の歴史

薄毛の悩みはかなり昔から文献にも書かれており、「ブルトゥス、お前もか」で有名な歴史上の人物カエサルも、薄毛で悩んだ男性の一人でした。

カエサルが生きた時代は紀元前100年ほど。「ハゲの女ったらし」と呼ばれていたことを受け入れていたのは、カエサルの寛容な人柄を偲ばせるものとして伝わっています。しかし薄毛を隠すために大変苦労していたということも言われています。功績が認められ月桂冠を戴する名誉に与った時には、前髪の薄さを隠せると、大変喜んだようです。

AGAの研究は更に歴史を遡ること紀元前400年には、ギリシャのヒポクラテスの手によって着手されていました。「睾丸を持たない男性は、はげない」という事実をあげ、睾丸とAGAとの間に何らかの因果関係があるということを突き止めました。次世代を担ったアリストテレスは、「男性型脱毛症」「体毛」「性衝動」は睾丸に司られているという仮説を打ち出しました。

かなり核心に迫った研究結果でしたが、歴史の中でAGAの研究の記録は、ここで途絶えています。ローマ時代には美しい男性と言われる傾向が「女性と見間違うほどのヤサ男」というものであったのに対し、「薄毛が男性としての魅力を半減させるとは言えない」という意識に変わったこともあるでしょう。第二次大戦前に米国医師ハミルトンが男性ホルモンの研究とともに「薄毛は遺伝」という発表を行うまで、AGAの目立った記述はありません。